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2016.7.30

「わかる」とは「かわる」こと


京都文教大学学長、平岡聡氏の心に響く言葉より…

ルールを守り、決して約束を破らず、受けた恩には必ず報いる人を「律儀な人」といいますね。

この「律儀」とは仏教用語で、本来は「りつぎ」と読みます。

通常は「実直で義理がたいこと」という意味で使われますが、これは本来の意味から派生して出てきた語意です。

では仏教用語としての「律儀」はどのような意味なのか。

この言葉の意味と、《心》と《からだ》の関係について考えてみましょう。

「悪いとわかってはいるが、やめられない」とか、「よいとはわかってはいるが、できない」ということを人はよく口にします。

これは「頭では理解できているけれど、からだでそれが実行できない」ことの表明で、その前提には「心とからだは別」という考え方があります。

はたして《心》と《からだ》は別物なのでしょうか。

解剖学者・養老猛司氏と物理学者・佐治晴夫氏の対談を収めた『対談・「わかる」ことは「かわる」こと』(河出書房新書)という本にこんな話が載っています。

あるとき、佐治氏は高校で理科を担当している先生方の研修会に呼ばれ、宇宙に関する一般的な話をされたそうです。

すると講義後、立派な学歴と業績を持つ先生が佐治氏のもとにやってきて、「先生が話されたことは全部知っている。それよりもビックバンが起こる前に、どんなゆらぎがあったか、そこのところの数学的な話が聞きたかった」と言ったそうです。

そこで佐治氏はこう答えました。

「宇宙のことを知るということは、宇宙のことをあなたが勉強して知ることによって、あなたの人生がどう変わったかということをもって、知る、ということなのです。

あなたは生徒に、授業を通して彼らの人生をどのように変えられるかということを念頭において、地学の講義をされていますか」と。

そして「《わかる》ということは《かわる》ということである」と結ばれていました。

その人の行動が《かわった》ことをもって、本当に《わかった》ことになる、という指摘。

行動に示せなければ、わかったということにはならないのですね。

仏教には修行がつきものです。

では修行することの意味は何か。

それは、ここで問題にしている《わかる》と《かわる》を例にとっていえば、さきほどの《わかる》→《かわる》という方向とは逆に、《かわる》→《わかる》という方向で理解することができます。

《わかる》→《かわる》が《心》から《からだ》に働きかける方向なら、《かわる》→《わかる》は《からだ》から《心》に働きかける方向です。

つまり、行動が《かわる》ことによって、ある境地を理解する、すなわち《わかる》ということになります。

まずは形から入るというわけです。

仏教は最終的にはさとりを目指しますが、いきなりはさとれません。

そこでブッダが制定した戒律を守り、また修行を重ねることで、さとりの境地を体得する(わかる)ことを目指すのです。

仏教での「律儀」とは、「殺さない・盗まない」等の戒律を守ることで、《悪を抑制すること》を意味します。

これが習慣化すれば、悪を犯そうと思っても犯せなくなり、その「善の習慣化(律儀)」が結果としてその人にさとりをもたらすのです。

以前、「腕を大きく振って歩いたら、気持ちも大きくなりました」という松嶋菜々子さん出演のお茶のCMがありました。

行動(からだ)を変えることで気分(こころ)が変わるという好例を示すものとして印象に残っています。

『ブッダの処世術 - 心がすぅーっと軽くなる -』ワニブックス


中国、明の学者、王陽明は伝収録の中で、「事上磨錬(じじょうまれん)」と言っている。

事上磨錬とは、実際の行動や実践活動を通して、知識や心、精神を磨くこと。

実行の中にのみ、学問がある、と。

つまり、知っていても行わなければ、知らないのと同じことになる。

「わかった人」は、それが実際の行動にあらわれている人であり、行動の変革ができる人。

「知行合一」という知識と行動が一体の人。

行動の人は、影響力を持っている。

影響力とは人を変える力。

実践の人でありたい。


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