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2014.12.29

寿(ことほ)ぐこと


東京大学大学救急医学分野教授、矢作直樹氏の心に響く言葉より…

見えないものに対して多大な敬意を払う日本人ですが、それは時に、何か怖いものに対する「恐れ(畏れ)」へという形へと変化しました。

それは「罰(ばち)当たり」とか「呪われる」という言葉で表されます。

罰とは自分がやった悪行に対する報いです。

因果応報とも表現されます。

やってはいけないとされることをやってしまう、その結果として起きてしまう悪いこと…一般的な罪の解釈はこうなります。

「誰も見ていないから良い」というのは短絡的な思考ですが、そういう人は高い次元の存在が自分のそばで一部始終をじっと見ていることに気づきません。

恐れはこういった存在への畏怖であり、呪いは相手にマイナスの念を飛ばすことですが、当然ながら、誰かを呪うと「返り念」を浴びます。

作用・反作用の法則です。

呪うという行為は自分が闇に「堕(お)ちてしまう」ことであり、自分が持つ波動を「落としてしまう」こと。

お天道さまに背くようなことをしなければ、つまり普通に生きていれば、私たちは罰も報いも受けません。

おかげさま、おたがいさまの心根があれば、誰かを呪うということもないはずです。

神道を中心として、さまざまな宗教観や習俗を積極的に取り込んで来た日本人は、こうしたマイナスの創造にも長(た)けていました。

時代が変わったから、あるいは世代交代が進んだからかもしれませんが、最近は罰当たりという言葉自体、死語となった感があります。

大変残念なことです。

罰はなんらかの形で当たります。

それはこの世のバランスを保つ仕組みがあるからです。

罰は本人に直接ということもあれば、本人ではなく身内にあることもあります。

日本の先人に倣(なら)い、幼いうちから「罰当たりなことをするな」としっかり教えたいものです。

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自らの波動を落としてしまう行為とは、運を落とす行動、のこと。

誰かを呪ったりすれば、それはやがて自分に返り、自分の運を落とす。

呪いの反対は、祝(いわ)い。

不幸を祈るのが呪いで、幸せを祈るのが祝い。

南太平洋のある部族には、斧も鋸(のこぎり)も使わないで大木を倒す方法があるという。

それは、部族総出でその大木を取り囲み、何日も何日も、大木に向かって、口々に罵声を浴びせ、罵(ののし)り続ける。

すると、さすがの大木も、葉が枯れはじめ、やがて大きな音を立てて倒れてしまうのだという。

その呪いが、木の生きる力を奪い取り、生命力を萎(な)えさせてしまうからだ。

言葉にはそれだけの力がある。

だからこそ、呪うのではなく、祝うこと。

祝いの言葉や喜びを伝え、幸運を祈ることを寿(ことほ)ぐという。

祝い、寿ぐことの多い人でありたい。


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