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2017.8.19

「愛国心」という言葉


ケント・ギルバート氏の心に響く言葉より…

100%の確信をもって断言しますが、現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。

読者の中に、子供時代から現在に至るまで、「私は愛国心を持っています」と言い続けた日本人が何人いるでしょう。

戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しいと思います。

ほとんど全滅に近いのではないでしょうか。

ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。

幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。

だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。

「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、大恥をかいたりしてしまうかもしれません。

世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、ごく当たり前だからです。

むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、多くの場合、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、日本の皆さんは知っておくべきです。

そういわれても、日本の皆さんはピンとこないかもしれません。

なにしろ、「愛国心」という言葉に日本人が知らず知らずのうちに抱かされてしまった拒否感について、あまりにも無自覚なうえに、その原因が根深いものですから…。

では、次のような例に置き換えてみたらどうでしょうか。

返ってきた答えが「いやー、うちは先祖代々、酷(ひど)い歴史を歩んできた一族でしてね。とても誇れるようなものではないですし、そんな暗い過去を持つ家族を愛しているだなんて、口が裂けてもいえませんよ」というものだったら、皆さんはどう思うでしょうか。

「自分の家族やご先祖様について悪しざまにいうなんて、本当にこの人は大丈夫なのかな?信用していいのかな?」と、心のどこかで思いませんか?

正直にいえば、日本人が「自分たちには愛国心がありません」と発言するのを聞いた外国人の多くは、今、述べた家族の例と同じような「この人たちは本当に信用できるのかな?」という違和感を抱くと思います。

そのくらい非常識な発言なのです。

日本以外の多くの国の人々にとって、「愛国心」は「家族を愛する心」と同じくらい、ごく自然なものです。

だから、「私には愛国心がない」「国のことなんかどうでもいい」などといわれると、むしろ眉をひそめたくなるのです。

そういう風にいうと、「いや、もちろん私だって日本のことは好きなのですが…」とおっしゃる日本人は多いと思います。

そうおっしゃる方には、重ねて聞きたい。

では、「日本を好き」なのと「祖国を愛している」の違いは何ですか?

それに対する一つの答えは「マインドコントロール」です。

いきなり結論めいた話になりますが、戦後の日本では、日本人が愛国心を持つことに抵抗感や罪悪感を抱かせるような学校教育と、マスコミによる報道や放送が、意図的に行われてきました。

そして、それは現在進行形で、今、この瞬間にも行われています。

はっきりいえば、皆さんは一種の洗脳を受け続けているのです。

戦後、この洗脳を教育機関やマスコミを操(あや)って行わせた陰の主犯は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)でした。

米国政府が仕組んだといっても構いません。

要するに私の祖国であるアメリカ合衆国の占領政策によるものであり、謀略です。

この謀略は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と名づけられています。

簡単にいえば、先の戦争についての罪悪感や嫌悪感を日本人の心に植えつけて、日本を二度と軍事的に立ち上がれない国にしようというものでした。

米国政府がそこまでのことを行った原因は、日本や日本人のことを米国が極端に恐れたせいなのです。

日本を「好き」であっても「愛国心」という言葉をなかなかいえない原因のもう一つは、「日本人が日本のことを知らない」ことにあります。

誰も「知らないもの」を愛することはできません。

その点でいうと、明らかに日本人は日本のことを「十分には」知らないように思えてなりません。

これも世界での話で恐縮ですが、何か国の人々が集まるパーティのような席では、まずはたいてい、各々(おのおの)の国の「お国自慢」になるものです。

皆が、それぞれ自国の文化や伝統、歴史について語ったり、相手の国のことについて質問したりするのですが、その場で自国の歴史や文化を語れない人は「無教養な人」と思われてしまいます。

その点、日本人はどうでしょう。

海外で盛んに活躍している有能な人ほど、「もっと日本のことを知らなければ」おっしゃることが多いようですから、きっと普通に大学を卒業した程度では、知識が足りていないのでしょう。

そして、その知識不足の大きな原因も、やはりGHQの「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」にあります。

日本の歴史や文化、さらに日本の本質について語る際に絶対に外せないのは、「天皇」の存在です。

逆にいえば、天皇とはいかなるものかに関する知識なしに日本のことを語るのは、たとえるなら「ユダヤ教にいっさい触れずにイスラエルを語りなさい」とか「キリスト教への言及なしに西洋文化について論考しなさい」とかいっているようなものです。

まともな知性を持っていれば、そんなことができるわけもないことがわかるはずです。

しかし戦後日本では、天皇についての歴史や文化伝統を学ぶことは、一種のタブーでした。

日本の人々がつくりあげた公式の歴史書である『古事記』や『日本書紀』に書かれた「神話」を学校で教えることさえできませんでした。

八世紀に編纂(へんさん)されたこれらの書物にすら「神代(かみよ)」、つまり神話の時代の話として書かれているのですから、「神話」として教えればいいはずですが、それさえ行われなくなったと聞いて、私はとても驚きました。

その民族が、どんな「神話」を持っているかということ自体が、比較文化研究の視点から見ても、とても興味深いことであるはずです。

日本人も、自分たちの国の神話を知ったうえで、他の国々の神話を知ると、似ている点や、違う点などが色々分析できて、とても面白いだろうにと思えてなりません。

神話の時代から現代に至るまで、ずっと天皇と共に続いてきた国だからこそ、世界の人々は日本という国に憧れ、敬意を抱くというのに、どうも天皇について多くの日本の方々は、その存在に対してあえて無関心でいるか、少し斜に構えつつ、敬しながらも遠ざけるべきものであるかのように考えているように思えます。

しかも、「天皇」と「愛国心」の両者を合体させて論じることは、戦後の日本では、ある意味では非常に危険なことだったようです。

戦争が終わって七〇年以上もたった今日でさえ、天皇を想起しながら愛国心を語ることは、すなわち軍国主義的であると考えられているのです。

それこそが、「WGIP」がめざした世界観でした。

しかし、世界に誇るべき「天皇」を忌避(きひ)し、封印するなんて、「もったいない」にもほどがあります。

冷静になれば、これがいかにバカらしいことであるかがわかるでしょう。

『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人 (PHP新書)』PHP新書


斎藤一人さんは、こう語る。

『「国誉め(くにほめ)」という神事がある。

これは古代、ある国に任命された役人が 一番最初にやった仕事。

その国がどんなに素晴らしいかを褒めたたえるその行為が神事になる。

不幸な人はこの国誉めができない。

例えば、北海道に住んでいて 北海道の悪口を言っている人』

「愛国心」とは、たとえば「愛国心」の反対を考えてみるとわかる。

国に対して「嫌悪(けんお)感を抱いている人」、「憎しみを持っている人」、あるいは、マザー・テレサ的に言うなら「無関心の(無視する)人」ということになる。

これを国ではなく、「人」に置き換えてみると、それがいかにひどい仕打ちか分かる。

人は、誉められたら気持ちがいい。

これは国も同じだ。

日本をけなされたり、憎しみの対象となったら、どんなに悲しいか。

「愛国心」という言葉の呪縛(じゅばく)から解き放たれたい。


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