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2018.1.17

「感謝」の本当の意味


小林正観さんの心に響く言葉より…

感謝することで片づくのが、対じん関係です。

「対じん関係」とは、対人と対神、の両方です。

ここはちょっと重要なポイントなのですが、神社仏閣に行って、お願いやお祈りをする。

自分の夢や希望を叶えてくださいとお願いする…そういうふうに日本人は教わってきたのですが、宇宙的に言うと、そのお願いをした瞬間、実は、神仏を敵に回すことになります。

どういうことかというと、その行為は、いま自分が取り囲まれている状況が気に入らないと言いに行ったと同じなのです。

つまり宣戦布告に行ったのです。

例えば、「体のどこそこが悪いので治してください」とお願いに行った。

自分の身体に、悪いところが1、2カ所ある。

ところが順調に動いている場所が、9998ヶ所ある。

この9998ヶ所に対して、常日頃、一回も手を合わせ、感謝もしていない。

「痛いところだけ、なんとか治してください」と言いに行ったということは、9998に対する感謝が欠けているということです。

同じように、「収入が少ないので、もっと収入を増やしてください」とお願いしたとする。

神社仏閣に自分の足で行くことができたということは、今日まで食べてこられた、その体を保つことができた、ここまでやって来る交通費も払えた、来るだけの時間的なゆとりも取れた…そういうことです。

その意味でいうと、それだけでもすごく恵まれています。

ほんとうに恵まれていなければ、神社仏閣に来ることさえできません。

経済的にあるいは身体的に、それが許されない人さえいるのです。

それなのに、もっと売上げを上げてくれとか、利益を確保させてくれというお願いは、いま十分に食べられるようにしていただいているという現実を超えて、「もっともっと、まだまだ」と言い続けているということにほかならない。

人間は、何かが思うようになっていないと、思い通りになっていないことだけを挙げ連ねるものです。

仕事も、対人関係も、健康も。

しかし多くの場合、不足している以外の9999ヶ所は、スムーズにいっている。

そのことに対して、一度も、一カ所にも手を合わせたことがなく、感謝をしたこともない。

どこか不調だったり、お金がうまく流れていなかったり、集まってこなかったら、「たまには感謝をしてみたら?」という宇宙からのメッセージととらえたらどうでしょうか。

「ああ、そうか。足りないことをもっと寄こせ、もっと寄こせ、ではなく、これまでほんとうにたくさんにいただいたことに、感謝が足りなかった」と、気がつくかもしれません。

何かが叶ったから、手に入れたいものが手に入ったから感謝するという感謝は、実はほんとうの感謝ではありません。

それは感謝ではなく、我欲が満たされたというに過ぎない。

我欲が満たされたら、また次の要求をして、さらにその我欲が満たされたら感謝する…これは、ほんとうの感謝ではないように思います。

「感謝」とは、すでにいただいている9999のものに対して気づくこと、手を合わせること。

それができるようになると、何を叶えてくれとか、何かを手に入れたいなどとは考えなくなります。

だから、神社仏閣はお願いに行くところではなく、お礼を言いに行くところ。

『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲舎


この「感謝」の考え方は、「幸せ」とまったく同じ考え方。

「幸せ」な人は、何か幸せなことがあったら幸せなのではなく、普段の生活のなかにほんのささいな「幸せ」なことを見つけて幸せになれる。

あれがないから幸せになれないとか、これがないから不幸だと言っている人はいつまでたっても幸せにはなれない。

不平不満に目がいくのか、「感謝」や「幸せ」に目がいくのか。

事実は一つでも、感じ方、見方によって人生はまったく変わってくる。

「感謝」のほんとうの意味は、すでにいただいている「幸せ」に気づくこと。

感謝多き人でありたい。


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