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2018.12.26

心が何も感じない人生はつまらない

斎藤一人さんの心に響く言葉より…

ずいぶん前のことなんだけど、うちのみっちゃん(銀座まるかんグループの代表)に、失礼なこと言ったヤツがいたの。

それを知って、オレはむちゃくちゃに頭にきたんだよ。

オレが穏やかでいられたのは、そういう人間がオレの目の前に出てこなかっただけの話なんっだよね。

出てくれば、カッカ、カッカ、燃えるんだよね(笑)。

そうやって燃えているときの自分が、オレは大好きなんだよ(笑)。

自分より前を歩いている人が、やけに落ち着いて見えて、何ていうの?

すごい人間に見えるんだよな。

だけど、落ち着いて見えるのは、落ち着いているんじゃないんだよ。

くたびれて、動作が鈍くなってるだけなんだよ(笑)。

いつも泰然自若(たいぜんじじゃく)としている人だって、嫌なことをする人間がきたら、カッカ、カッカするよ。

それが人間なの。

それって、案外いいもんだよ。

ここで怒らないで、いつ怒るんだ、っていうぐらいにね(笑)。

変な話ね、逆上して、相手をあやめそうになるところを、たとえば、茶碗を投げるだけで、済ますことができりゃあ、それでもう、御の字なの。

いつも泰然自若としていることを自分自身に求めるけどね、心というのは、いつも同じではいられないの。

たとえば、自分の家が火事になってしまったら、落ち着いてなんかいられないんじゃない?

自分の女房が浮気して、心に思うことが何もないなんて、立派すぎるよな。

波のたたない心を目指していたら、無感情人間になっちゃうよ。

心が何も感じない人生で、いいのかね。

オレだったら、つまんなくてしょうがないな。

人ってね、恋をすりゃあ、楽しいの。

フラれりゃあ、悲しい。

それが自然なんだよ。

フラれて悲しいからって、ほとんどの人は、ストーカーになったりしないじゃない?

悲しくて相手の住んでる町まで行って、恋しい人の姿を探すことはあっても、相手の自宅まで押しかけるのは「やめておこう」って踏みとどまるじゃない?

踏みとどまっただけで、もう上等なの。

自分に「上等、上等」って言ってあげることだよね。

そうやって、「自分にやさしくする」って、すごく大切なことなんだよ。

完璧主義者って、完ぺきを望むけど、ムチャなんだよ。

誰だって自分がモテればうれしいし、けなされれば腹が立つの。

自分のことをけなした、その相手を殴ったり、殺しちゃう人もいるのに、自分はそれをしなかったんだよな。

殴ったり、犯罪をおかさなきゃいいんだよ、正解なの。

嫁と姑の問題もそうだよ。

嫁と姑が、顔を合わせると口ゲンカをしちゃうんです、って。

殴り合いのけんかをしないとか、殺しあわなきゃ、「仲がいい」ってことにするの。

「柔軟な心」とは、そいうことをいうんだよ。

「仲が悪い」というのは、殴り合いをしてたり、殺し合いをしてる、ってことなの。

悪口を言い合うなんていいうのは、「仲がいい」の。

自分にも、相手にも、要求水準を下げておくの。

嫁と姑が、元気に悪口言い合っているのは「仲がいいんだ」って。

そういう目でみいるとね、面白いんだよ。

なぜか、必ず仲良くなっちゃうんだよ。

『斎藤一人 極楽人生 あなたの人生が急に面白くなっちゃう(信長出版)』(道井さゆり)


陽明学を樹立した王陽明〈中国明代の思想家〉はこう語った。

「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずるゆえんは、喜怒哀楽の四者を出でず」

『人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は 「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。

よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである。

世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」 などと頑(かたく)なに信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。

人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ… つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである』「人間学」(伊藤肇)より

また、論語には、「憤(いきどお)りを発して食を忘れ、楽しんでは以て憂(うれ)いを忘れ、 老いの将(まさ)に至らんとするを知らざるのみ」という言葉がある。

楚(そ)の国の葉公が、「孔子という人は、いったいどういう人物か」と弟子の子路に訪ねたが、 子路は答えられなかった。

それを聞いて孔子は、子路に、どうしてこう言ってくれなかったのか、と言った。

「孔子とは、憤ったり感激すると、食べるのを忘れるほど熱い人であり、 道を究め、楽しんでいるときは、憂いを忘れ、年をとるのも忘れている人だ」、と。

ブッダにしても、孔子にしても、聖人は聖人然としているから聖人ではない。

熱く燃えたぎるような情熱を持ち、喜怒哀楽の激しい人だ。

つまり、魅力ある人とは、喜怒哀楽の振幅の大きい人。

心が何も感じない人生はつまらない

魅力ある生き方を目指したい。



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