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2019.5.8

吉田松陰の言葉

渡部昇一氏の心に響く言葉より…

安政元年三月二十八日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。

その前夜、松陰は金子重輔と共に伊豆下田に停泊していたアメリカの軍艦に乗り付け、海外密航を企てた。

しかし、よく知られるように失敗して、牢に入れられたのである。

「一つお願いがある。それは他でもないが、実は昨日、行李(こうり)が流されてしまった。それで手元に読み物がない。恐れ入るが、何かお手元の書物を貸してもらえないだろうか」

牢番はびっくりした。

「あなた方は大それた密航を企(たくら)み、こうして捕まっているのだ。何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。どっちみち重いおしおきになるのだから」

すると松陰は、

「ごもっともです。それは覚悟しているけれども、自分がおしおきになるまでにはまだ時間が多少あるであろう。それまではやはり一日の仕事をしなければならない。人間というものは、一日この世に生きておれば、一日の食物を食らい、一日の衣を着、一日の家に住む。それであるから、一日の学問、一日の事業を励んで、天地万物への御恩を報じなければならない。この儀が納得できたら、是非本を貸してもらいたい」

この言葉に感心して、牢番は松陰に本を貸した。

すると松陰は金子重輔と一緒にこれを読んでいたけれど、そのゆったりとした様子は、やがて処刑に赴くようには全然見えなかった。

松陰は牢の中で重輔に向かってこういった。

「金子君、今日このときの読書こそ、本当の学問であるぞ」

牢に入って刑に処せられる前になっても、松陰は自己修養、勉強を止めなかった。

無駄といえば無駄なのだが、これは非常に重要なことだと思うのである。

人間はどうせ死ぬものである。

いくら成長しても、最後には死んでしまうことには変わりはない。

この「どうせ死ぬのだ」というわかりきった結論を前にして、どう考えるのか。

松陰は、どうせ死ぬにしても最後の一瞬まで最善を尽くそうとした。

それが立派な生き方として称えられているのである。

「どっちみち老人になればヨレヨレになるのだから、体なんか鍛えてもしょうがない」

「どうせ死ぬ前は呆けたりするのだから、勉強してもしようがない」

確かに、究極においては「しょうがない」ことだろう。

しかし、究極まで行くと、そもそも生きることに意味がなくなるのではないか。

吉田松陰は、少なくとも生きている間は天地に恥じないように、何かに努めなければならないという心境だったのであろう。

それは生きている間は、一日の食事を摂って、一日の着物を着て、一日の住み家にいるわけだから、そのことに対して恩返しをしなければならないという考え方から出てきた心持ちであったようだ。

これは尊い生き方であると思う。

『人生を創る言葉』致知出版社


「さんとう」という言葉がある。

電力の鬼と言われた 松永安左エ門の言葉だ。

「闘(とう)病、投(とう)獄、倒(とう)産」のような大きな挫折を味わったことのない人間は、大したやつにはならない、ということ。

大きな挫折にあったときの態度や行動言動が、「人物」であるかどうかを決める。

最後の最後まで投げ出さずに努力や勉学の情熱を燃やし続けるのか、はたまた自暴自棄になってやる気を失うのか。

「たとえ明日、地球が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える」

という マルティン・ルターの言葉がある。

たとえ、明日地球が滅びようとも、未来のために木を植える人でありたい。



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