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2020.1.2

人生の舵を自分で握る

斎藤一人さんの心に響く言葉より…

私は魂を成長させるためにこの世に生まれてきたと信じています。

すると、こんなことを言う人がいます。

「俺は好きで生まれてきたんじゃない」

「産んでくれって頼んだ覚えはない」

そう思うのは自由です。

でもそんなふうに思わないほうが楽ですよ。

ちなみに私はこう思っています。

「人は自分が一番成長できる環境を、自分で選んで生まれてきているんだ」

自分が生まれる前のことを記憶している赤ちゃんや子どもたちがいるそうです。

そういう子どもたちの発言を記録したドキュメンタリー映画もあると聞きました(「かみさまとのやくそく」)。

それを観(み)た私のお弟子さんによると、子どもたちは神様と約束をかわし、地球にいる自分の親を選んで生まれてくるそうなんです。

親が子どもを産んだんじゃなくて、子どもが親を選んだんですね。

だから「俺は好きで生まれてきたんじゃない」ではなくて、「俺は好きで生まれてきたんだ」なんです。

子どもは自分の魂が一番成長できる環境を選んで生まれてくる。

その通りだと私も思います。

「それを証明しろ」

などと言わないでくださいね。

私には証明できませんから。

でもそう考えたほうが前向きに生きられるのはたしかです。

なぜなら、自分が一番成長できる環境を選んで生まれてきたんですから、これ以上いい環境はほかにないということになります。

「こんなイヤな家」とあなたが思うのは勝手ですが、そう思って生きるのか、「成長するために一番いい環境なんだ」と思うのかで、人生が全然違ってくるのは、簡単に想像できます。

大切なのは、自分が自分の人生を選んでいると思うことです。

あなたの人生は神様が決めたんじゃありません。

神様が番号のついた札をシャッフルして、お見合いみたいに親と子をくっつけたんじゃありません。

自分でその親を選んだんです。

自分の人生は自分で選んだ。

自分の人生は自分の責任である。

これが腑(ふ)に落ちれば、人生のいろいろな問題はとても解決しやすくなります。

なぜなら、自分の責任なら自分が変わればすむだけですから。

でも人や社会のせいにすると、相手が変わるまで待っていないといけないから、とても大変です。

たとえば自分の健康は自分の責任だと思えば、自分で気をつければいい。

ですが、自分が不健康なのは社会のせいだとすると、革命を起こして社会を変えなければいけません。

自分が太ってメタボになったのは、隣のおやじのせいだと思ったら、隣のおやじを変えなくちゃいけない。

自分以外を変えるのはとても面倒で大変なことなんです。

私なら自分の健康は自分の責任だと思います。

自分で食べ物や生活環境を変えて、健康になれるよう努力します。

そのほうがずっと簡単です。

人生だって同じです。

自分の人生は自分の責任だと思えば、自分で努力したり、自分を変えたりして、人生を変えることができます。

これが「人生の舵(かじ)を自分で握る」ということです。

でも人や社会のせいにすると、人生はなかなか変わらない。

『変な人が書いた 人生の哲学 (PHP文庫)』


斎藤一人さは、本書の中でこう語っている。

『どんなにひどい環境に生まれたとしても、魂から見ると、そこが自分が一番成長する“道場”なんです。

魂がそこを選んだんだから、安心してそこで修行すればいい。

とはいっても、何も、そのままそこで我慢しろ、と言っているわけではないんですよ。

自分の「手」を変える、つまりそこにいて、生き方を変えていけばいいんです。

どうやって変えるのかというと、一番わかりやすいのは、人に喜ばれることをすればいい。

そうすれば自分の「手」が少しずつ変わっていきます。

「私は人さまに喜んでいただけるような立派なことはできません」

と言わないこと。

喜ばれることをするのは、実はとても簡単です。

たとえば昨日私がやったのは、ファミレスの駐車場でクギを拾ったことです。

お弟子さんと一緒にお昼を食べにファミレスに入ったとき、駐車場にクギが落ちていたんです。

その上を車が通ったら、パンクするかもしれない。

それじゃあかわいそうだと思ったから、私はクギを拾って、はしっこのほうによけておきました。

そして誰も気がつかなくても、人に喜んでもらえることをすると、神様がちゃんと見ていてくれるんです。』

京セラの創業者稲盛和夫氏も同様のことを言っている。(「成功」と「失敗」の法則/致知出版社)より

『「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。

様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。

その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。

私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。

昨日よりましな今日、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。』

人は、自分を変えるのはとても大変だと思っている。

しかしながら、他人やまわりを変える方がよっぽど難しいし、その可能性はほぼゼロに近いかもしれない。

だからこそ、自分を変えていくしかない。

なぜなら、自分が今の環境や状況を選んで生まれてきたのだから。

毎日起こる様々なできごとを自分の「磨き砂」として、自分の魂を磨く。

他人やまわりのせいにするのではなく、たとえわずかであっても自分を変えていく。

その積み重ねが、自分をつくっていく。

人生の舵(かじ)を自分で握る人でありたい。



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